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福岡高等裁判所 昭和29年(く)27号 決定

本籍 長崎県○○郡○○町大字○○○○番地

住居 福岡市○○町○○番地

無職

甲野一男(仮名) 昭和十一年八月一日生

抗告人 親権者父甲野太郎(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は、

少年甲野一男は昭和二十八年○○○高等学校二年在学中の七月頃から不良とは知らず級友○内○人と交るようになり、学校の出席率も減り又金銭を浪費するようになつて保護者として心痛するに至りました。ところが同年十月頃右○内の友人某家から○内と二人でポータブル一個を無断で持出し、これを金にする目的で携帯中西警察署員に逮捕されたが、二、三日後には釈放され右ポータブルは所有者に返されました。その際学校のトレーニングパンツ外一品を持つていたので学校にも申訳ないと云つて自発的に休学届を出し私の許から○○の米穀販売店にアルバイトとして通勤し之によつて得た報酬の大部分は預金として一男が所持していました。そして十二月末右米販売店を退職と同時に下関市に居る私の先妻で少年の実母の許に遊びに行き本年(昭和二十九年)一月十四日帰宅致しました。時恰も同日福岡家庭裁判所から呼出を受けていたので一男を連れて出頭しました処、即時観護措置が採られ少年鑑別所に入れられて二月五日始めて審判を受けました。その結果私の同郷の遠縁に当る福岡市○○町の○尾○に補導委託として試験観察に附する決定を受けました。そこで三月二十日迄通算四十日余同人の面倒を見てくれ、一男も亦昔の純潔さを取戻した感がありました。然るに三月二十日福岡家庭裁判所より呼出状を受け○尾氏を始め私や一男が極力反対したのに拘らず裁判所は私立学校は不良が多くていけない、下の関の公立学校がよいと云つて一男を下の関の先妻の許に補導委託を変更したのであります。そこで一男は四月より公立○○高等学校一年に編入し直に級長に推されましたが、一方家庭では私達が心配していたとおり一男が同居したゝめ祖父母やその他複雑した関係で内紛絶え間なく一男も遂に居たゝまらず七月三日私の許に逃げ帰つて来たのであります。そこで翌四日近所の保護司水谷善四郎にこの旨相談したところ、同人は翌五日家庭裁判所に対し急ぎ審判を開いて貰つて現在の試験観察から保護観察に切り換へ方を申立てたのであります。然るに七月二十日頃一男が○内○人方を訪れた際自分が少年院にやられるようになつているということを聞いて大いに驚き心配の余りかねて懇意な百道海水浴場の休憩所に回避の目的で同月二十七日から二十九日迄三日間居て帰つて来ましたが、その間何等非行はなかつたようであります。それから愈々八月九日審判の通知を受けたので当日一男を連行し水谷保護司附添の上出頭し同保護司は保護観察を嘆願して私の保護観察となれば少年の身柄を引取り従来の交友関係を断ち厳重な観護指導に当りその反社会的非行性の治癒矯正に努力する旨強調されたが、裁判所は今少年院に送致しなければ時期を失すると云つて十八才になつたばかりの少年を、しかも試験観察から一躍特別少年院送致の決定をされたのであります。一男はこれまで覚醒剤の注射を施した体験も持ちません、女遊びをしたこともありません、又現在では家庭内では終始真面目で私の云付を守つて、九月の二学期から再び進学しようとの信念のもとに心気一転真剣に勉学することを心から誓つて向学心に燃えているのであります。私も一男の決意と希望とに欣喜躍如県教育課も訪問し○○高等学校への編入に対し努力し殆んど編入確定的でありましただけに今度の決定は私の深い愛情と強い熱情とが一瞬にして水泡に帰したのであります。私にとつては一男は全生命であつて一男を正しく導くことは私の最も念願する処でありますが、一男は未だ少年院に於て保護しなければならない程の状態には立到つていないと確信いたしますので原審の決定は著しく不当と考えられますから原決定を取消して保護観察に附する処分をして戴き度く抗告申立に及んだ次第であります。というのである。

よつて、本件少年保護事件記録及少年調査記録を精査すると少年は実父である抗告人の盲愛と十年前既に離婚して別居している実母の溺愛の下に育成されて来たが、昭和二十七年十一月頃抗告人が再婚するに及び之に対し強い反感を抱き昭和二十八年六月頃より漸次学業を怠り不良の徒輩と交つて遊惰に耽り同年十月三日には抗告人の時計を持出して家出し友人方を転々泊り歩いたのである。かくて抗告人は少年を福岡家庭裁判所に虞犯通告したが一方少年は不良仲間の○内○人と共謀し同月十日学友のポータブル蓄音機一台を窃取し更に翌十一日○○○高等学校においてトレーニングパンツやクレパスを窃取した上右ポータブルを一千円にて入質に赴いた際西警察署員に逮捕され同月十四日同裁判所に送致されたのである。かくて少年に対して審判が開始され、昭和二十九年二月五日第二回審判期日において抗告人の希望とその親族○尾○の熱心な申立により裁判所は同人に少年の補導を委託することとして試験観察決定をしたのである。そしてその結果は良好のように見えたが同月十二日の第三回審判期日において補導委託者○尾○は少年の意思薄弱、不良交友の懸念から少年を福岡に置くことを憂慮し下の関の実母方に引渡すを適当であると強調し、実母も之に同意し少年も亦異議がなかつたので裁判所は補導委託先を実母に変更する旨の決定をしたのである。然るに同年三月十五日の第五回審判期日において少年も抗告人も共に実母方に行くのに反対したが、○尾○は少年を福岡に置くことは少年の意思薄弱、交友関係の取締不能を理由として強くこれに反対したので遂に同人等も飜意するに至つたものである。かくて少年は実母方に赴き下の関公立○○高等学校第一学年に編入して級長の地位を与えられたが之も少年の性格的欠点から永続せず同年五月初め福岡市港祭り見物に来て授業料を使い込んだことや、実母方の反対を押切つて夜間出掛けていたこと等その我儘放縦な態度は家庭の空気を乱し喧嘩口論は絶ゆることなく、遂に少年は退学して七月三日頃福岡市の抗告人方に帰来したのであるが、少年は家に居ては暴君の如き我儘な生活態度をとり、外では○内等不良の徒輩との交友を復活し試験観察中の身であり乍ら同月二十二日には柳川市の○内の姉婿方に赴き自動自転車を無理に引出し一日中乗廻して無免許運転をなし、又同月二十四日頃から三十日頃迄の間少年及び○内は家出して数名の少年及び二、三の少女達と共に百道海水浴場の友泉莊に寝泊りして桃色遊戯をしたのである。而して少年のかゝる奔放、我儘にして薄弱な性格を矯正するには深き愛情もさること乍ら、当坐生臥絶えざる鞭撻と強力なる指導、情操教育が必要と考えられる。なるほど実父である抗告人は少年に対する深い愛情の点においては人後に落ちないであろう。けれどもその愛は盲目的であつてはならない。抗告人の盲目的愛情が少年をして今日の悲境を招来した一因であることを反省すべきであると同時にかゝる状態に立到つた少年に対しては盲愛は少年を更に悪化せしめこそすれ何等改化遷善に導くものでないことを銘記すべきである。又抗告人は現在の後妻との関係においてその他家庭の雰囲気において何等の不安もなく少年を受け容れて情操教育を施すことが出来るであろうか。現在夫婦間の愛情においてしつくりゆかないところがあり、しかも尚少年に対する盲愛の覗われる抗告人に対し少年の適切な補導を期待することは遺憾ながら望み得ない。そして少年の環境の中枢である抗告人が斯の如くである以上如何に有能な保護司を以て保護観察に当らしむるも其の効果を期し得ないのは明白である。又実母の少年に対する愛情も依然として盲愛の域を脱せずその補導委託も失敗に帰したことは既に六ヶ月に亘る試験観察の結果に徴して明であるからこれ又同様である。果して然らば少年を適切に補導しその性格を十分矯正し得る環境は遂に少年の近親者にはこれを見出し得べくもない。かくて歩一歩と急速に悪の深淵に転落しつゝある少年に対し一刻も早く性格矯正の実を挙ぐるには現在の環境から隔離して規律厳正な団体生活を通し精神的訓練を施す一方後日の少年の受入れ態勢を万全ならしめるため家庭環境の調整を図ることが急務と認められるからこれと同趣旨の原決定はまことに相当であり前掲記録を精査するもこれを取消さねばならない不当のかどのあることを認めることが出来ないので本件抗告は理由がない。

よつて少年法第三十三条第一項少年審判規則第五十条に則り主文の通り決定する。

(昭和二十九年九月十七日福岡高等裁判所第一刑事部裁判長裁判官 藤井亮 裁判官 吉田信孝 裁判官 中村莊十郎)

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